ニュージーランドのクライストチャーチで発生した大地震、依然として救出活動が続いていますが、日本人被災者とその家族の心のケアのために、国際緊急援助隊として精神科医2人を現地に派遣したそうです。
ひだまり vol.47
ニュージーランドのクライストチャーチで発生した大地震、依然として救出活動が続いていますが、日本人被災者とその家族の心のケアのために、国際緊急援助隊として精神科医2人を現地に派遣したそうです。同援助隊による精神科医の派遣は珍しく、日本人の被災者が多数に上るため、心のケアを重視したようです。現地の映像で、全壊している民家の隣の民家は全く崩れていないという映像を目にしました。天災は防ぎようがないとはいえ、耐震強度をしっかりしておけば、多くの被災者を出さずにすんだのでは・・・と思います。数年前に起きた耐震偽装事件が思い出されますが改めてとんでもない事件だったと思いました。
2011.3.1発行
<発行元;シエスタ荒木医院>
〒807-1101 北九州市八幡西区上香月1-4-8
TEL:093-618-3555 FAX:093-618-3530
Homepage:http://www.siesta-hosp.jp
E-mail:libertad@siesta-hosp.jp

外来勤務表
4月と5月に外来医師勤務表が大きく変わります
変更点
- 吉田医師が3月末で退職します。(医師の補充が出来ません。)
- 金曜午前中 院長(荒木)→永田医師へ
- 谷医師が5月より産休にはいります。これにより、火・木曜日の午前中の 診察が院長1人になりましたので、混雑を避けるために、午前中の診察開始時間を8時15分からと早めます。(4月までは9時から開始です。)
※特に土曜日は更に混雑するものと思われますので、可能な方は土曜日をお避け下さいませ。

午 前(9:00~12:00) | 午 後(14:00~17:00) | |
---|---|---|
月曜日 | ① 永田 | ① 院長 |
③ 佐藤 | ③ 佐藤 | |
火曜日 | ① 院長 | ① 院長 |
③ 谷 5/1から産休 | ③ ― | |
水曜日 | ① 院長 | ① 院長(14:30~) |
③ 永田 | ③ ― | |
木曜日 | ① 院長 | ① ― |
③ 谷 5/1から産休 | ③ 佐藤 | |
金曜日 | ① 永田 | ① 院長 |
土曜日 ※注1 | ① 院長 | 注1.土曜の診療は8:40から 注2.診察開始時間が都合により、 9時になる場合があります。 |
③ 佐藤 | ||
⑤ 谷(隔週) 5/1から産休※注2 | ||
⑥ 吉田 3/31退職 |
新患受付変更のお知らせ
新患予約制をとっている病院が多い中、当院では急ぎ診察を希望している新患さんの診察にも対応したいと考え、予約制をとっておりません。
しかし、医師不足により、医師の補充が出来ない事態になりましたので、予約制にはいたしませんが、新患さんの受付曜日を制限せざるを得なくなりました。
どうぞご理解下さいませ。

平成23年4月1日より
旧
午前 7:30~11:00
午後 新患受付無し
↓
新
月・水・金 7:30~11:00
火・木・土 新患受付無し
※午前中にたくさんの新患が来られた場合は、新患の診療を午前中に出来ない場合がございます。その場合には、お時間を指定して、出直して頂くこともございますので、ご了承下さいませ。
- 再来患者さんへ
- 新患受付を午前に変更してから、午前中の混雑が著しい日が増え、数分の診察で済む再来患者さんも2~3時間待っていただく事態が生じています。午後の来院をお勧めしても、午前中来院を希望される方が多いようです。
4月より、午前中に新患受付をしない曜日を設けましたので、午前中希望で待ち時間を気にされる方は来院曜日を変更していただければと思います。
初めての祖母山
元アウトドア派
若い頃は仲間で登山することが多かったが、最近は忙しいせいもあって、時間が取れた時で晴れた日に、さっと登ってさっと降りてくる日帰りの単独登山が多くなっていた。今回は、登山経験の豊富なA先生のお誘いで10月10日、11日の連休を利用して、山小屋で一泊する予定で祖母山に登ることになった。
早朝まだ暗いうちに家を出て、JRししぶ駅5時30分発の一番電車で千早駅に向かい、そこからA先生の車で福岡市内を走り、九州自動車道から大分自動車道を経由して、玖珠インターで国道210号線に下りた。次に山道を走り、筋湯から瀬の本高原、豊後竹田を経由して、原尻の滝の休憩所に着き、ここでA先生ご持参のおにぎりをいただいた。「これが今回の登山では最後の米飯になります」とのことであった。それから、川沿いに高千穂町に抜ける狭い県道を約30分走って、やっと9時半に登山口の尾平に着いた。登山届箱のノートに記入を済ませ、尾平鉱山跡の私道を進むと、行く手に祖母山の主峰群が覆いかぶさる様に見える。瀬の本高原から豊後竹田に至る車道から見た祖母山はなだらかで優美な姿をしていたが、ここから見る祖母山は削り取られたような谷と険しい尾根、所々に岩肌が見えるゴツゴツとした山稜からなり、全く別の山のようであった。
奥岳川上流に向かって左岸を歩き、つり橋を渡り自然林の中を一歩一歩登って行った。30分登っては5分休むこと繰り返しながら進んだが、かなり登ったつもりだったのに標高600mの道標を見た時は少しがっかりした。あと標高差1100m以上も登るのかと思うと先が思いやられた。途中、スギ、ツガ、赤松の林や赤味がかった綺麗な幹をもつ大きなヒメシャラの群落を抜け、山の斜面や笹の間の急勾配の道を黙々とA先生の後をついて登った。表示板に示された標高が少しずつ高くなっていくのが楽しみであった。1400mの宮原分岐に着いた時はあと標高差300mで「あけぼの山荘」に着くと思うと嬉しくなった。ここまで来ると、がぜん元気が出てくる。前の背、馬の背と呼ばれる狭い尾根を越えたが、ここからの景色は抜群で、下を見ると、これまで登ってきた険しい尾根や木々に覆われた深い谷、上を見ると薄く色づいた紅葉、祖母山とそれに連なる峰々が雲の合間に見えた。そこから、ひと登りすると9合目にある「あけぼの山荘」に着いた。ここで一休みしてから山頂に向かう予定であったが、生憎、山頂付近はガスがかかっていたので、今日の登山はひとまず終了となった。時刻は14時半だったので、約5時間登り続けたことになる。
「あけぼの山荘」では、着替えを済ませ、1缶500円のビールを、まず1缶飲んだ。A先生は甘党らしく、甘いつまみを持ってきておられた。勧められたがビールには合わないので、持参のつまみを食べた。山荘と言っても造りは山小屋で、太陽光や風力発電を使った電灯と電気炬燵があったが炬燵を使えるのは18時かららしく、寒い炬燵に入って、雑談をして過ごした。夕食時にはカップ麺を食べ、ビールを1缶飲んだ。テレビもないし、することもな いので早めに床に着いたが、他のグループが宴会を始めたのには閉口した。宴会は屋外か地元の宴会場でやって欲しい。いつまで続くのか気が重くなったが、幸いなことに、疲れていたのか21時過ぎには自分が眠ってしまった。
翌朝、6時前に目が覚め、そっと窓の外を見ると、薄明るい空に星が見えた。「晴れだ、やったー!」と心の中で叫んだ。A先生も起きられたようで、2人ともカメラを持って外に出た。東の空が少しずつ明るくなり、由布岳、鶴見岳、九重連山のシルエットが徐々に濃くなって、6時15分頃、茜(あかね)色に染まった雲の下から鮮やかな御来光が望まれた(写真)。祖母山頂は雨や曇りのことが多く、
朝から綺麗に晴れることは年に10日位しかないそうである。両手を合わせ、今日の幸運を山の神様に感謝した。それから、山小屋に戻って、朝食をとり、山頂へ向かった。山頂からの眺めは抜群で、遮るものなく全方角が見渡せた。近くに、古祖母山、傾山、大崩山、少し離れて由布岳、九重連山、阿蘇の大カルデラの中の5岳、遠くに は薄い乳白色の霧に浮かぶ霧島山などが見えた。しばし、眺望を楽しんだ後、東側の急斜面を慎重に下り、少し歩いたところで振り返ると、朝日を受けた祖母山東斜面の絶壁と紅葉した木々がみられ、少し西側には大阿蘇のパノラマが広がりスケールの大きな眺望に圧倒される思いであった。見晴らしの良い草地に出ると前方にはそそり立つ天狗岩と紅葉した樹海が見られた。
天狗の別れから左折し、天狗の岩屋で水を補給して黒金山尾根沿いに下った。途中で道を間違えたり、何か所もある急な下り坂で時々足を滑らせながら、ひたすら下り、川上川渓谷の近くまで来たところで、休憩し昼食をとった。ここで飲んだA先生持参の卵スープは大変美味しく忘れられない味となった。それから、川上川渓谷沿いに沢音を聞きながら下り、川石沿いに流れを渡り、つり橋を通って、13時過ぎに、登山口に帰りついた。尾平では民営の宿泊施設で入浴し、つかの間の至福の時を過ごし、さっぱりして、帰途に着いた。帰りもA先生の運転で、来た時と逆のコースを通り、自宅まで送って頂いた。A先生には、何から何までお世話になり、楽しい登山を有難うございました。謝々。
「元気で老いる」をかんがえてみる(その3)
1)一生現役が理想でしょう。
福岡県は「70歳現役社会を考える会」という研究会を発足させたそうです。過去の経験を生かした就労のあり方や雇用する側にもどういうメリットがあるのかが話題になっているようです。 体力的には衰えているのですから、何をどう出来るでしょうか?
- 後継者の育成を目標にするか。
- 軽い仕事を社会で分担するか。シルバー人材センターの仕事、ボランティア(高齢者のお世話をする高齢者:老人ホームに話し相手に行く・お茶の提供などに行く)。これらからは人のためになれる喜びが得られるでしょう。
町内会の役員、町内の清掃などもボランティアとしては最適でしょう。
お花やお茶の先生は幸せな仕事です。若者が集まってきてくれる高齢者には理想的な仕事です。高齢を理由に教室を辞めたらうつになった人が居られました。死ぬ前の日まで続けたいものです。
沖縄の人は長寿なようです。何度かTV番組でみたのですが、高齢者が畑で野菜を作り、それで漬け物を作る。その漬け物が一家の食卓に上る。核家族でない家庭の中に高齢者の役割があるのが大事です。身体が動く高齢者から仕事を取り上げるのはよく無いと思いますね。
日経新聞(h22.10.20)の記事を紹介します。ボランティアをすると換金可能なポイントがもらえるという「高齢者の介護支援ボランティア」を横浜市、大阪府、倉敷市などで導入されているという記事がありました。高齢者の介護支援(話し相手、散歩の付き添い、洗濯物の整理などの手伝い)をすると1時間で100円相当のポイントがもらえて、地域振興のため地域特産品を地域商品券と交換できるという仕組みです。多少の研修があるようですが、会員登録しておいて、声が掛かると出動する仕組みのようです。結構ボランティア仲間が出来て、楽しいようです。
かなり前の米国での見聞も紹介しましょう。ロサンゼルスにいた頃の体験ですが、あの国では定年するとボランティアをするのが普通なのです。外国人相手の無料英語教室は昼も夜も、大学内にも町中にもたくさんあって、私もお世話になりました。大病院に行くと外来の受付や院内の案内ガイドをしている高齢者が何処にも居ました。定年したらボランティアするものという教育が子供の頃からされているようで、高齢者ボランティアを受け入れる素地が社会に出来ているようでした。日本に戻って、当時勤務していた病院で高齢者ボランティアを入れようとしましたが、「転んで怪我をしたら誰が責任をとるのか」というつまらない一声で計画はつぶされました。
2)人生を楽しく過ごす場所と仲間が必要です。
仕事・役割が手に入らない人や身体が不自由で仕事・役割が果たせない人は、残りの人生を楽しく過ごす場所が必要です。
趣味・遊び・ボランティアなど何でもいいですから、週に何度か出かけて行き、おしゃべりする場所が欲しいものです。介護保険のデイサービスも整形外科に毎日リハビリに通うことでも仲間が出来ます。
世話好きな兄が世話係をして兄弟旅行を楽しんでいた人が居ました。その兄が他界し、兄弟寄りがなくなり、うつになった人に出会いました。兄弟以外にも仲間が必要ですね。
余談ですが女性が家事をするものという考えはやめましょう。70才を越えると、夫婦共に老化しているのですから、家事も夫婦共同作業にする必要があります。
私の患者さんの中にも70歳代ですがテニスを楽しみ、老人ホームに話し相手のボランティアにいっている方が居ます。高齢者同士ですから話題も共通していいようです。高齢になっても人の世話になるより、人の世話をする側にまわりたいものです。
3)人生の終末を何処でどう過ごすのがいいのだろう。
一人暮らしはとても淋しいものです。高齢で家事も負担になっています。老人ホーム入所しますか?
ホームによって幾らか違いがあるのでしょうが、食事の提供があるだけの施設もあり、入居者の孤独を回避できていないこともありそうです。
老人ホームの課題:
- 受け身、依存的な高齢者は自分で遊べない。そのような高齢者に対しては仲間作りのメニューを作り、孤立させないための世話人が必要のように思います。
- 男性には群れて遊ぶことが苦手な人が多い。現実は女性の入所者が多く、派閥が出来たりして、オバさんの世間話に「次元が低い」と反発して老人ホームを出た人が居ました。
このような話を聞くと全体の調和を図るスタッフ(まとめ役)が必要だと感じます。
ラジオで聞いた話を紹介します。男性参加が多いデイケア施設がある。スタッフがメニュー(行事内容)を用意して遊ばせるのではなく、参加している男性達にしたいメニューを考えさせてメニュー作りをしている施設だそうです。
若者と一緒に暮らせないものか:
老人ホームや介護保険のデイサービスの存在価値は十分あるのですが、高齢者だけで生活しているのは不自然ですよね。若者が居る空間で高齢者も生活出来る工夫がないでしょうか。老人ホームと幼稚園を隣接している施設は既にあるようです。老人ホームのイベントに地域住民に参加してもらうというやり方を宗像市のホームがやっているというニュースがありました。
老人ホームの中庭を子供の遊び場に開放してみたら、どうなるか等と考えたりしますね。12月初旬の日経新聞に、「高齢者と子育て世代と一緒に住む住宅」を積水ハウスや学研が検討しているという記事がありました。そこには保育所と介護のデイサービスと診療所も併設してという内容で、少し期待したくなりました。
自宅で余生が過ごせないのか:
心身ともに元気で外に一人で出て行けて、人と話をする場所・仲間が居れば、自宅で何とか暮らせるかもしれない。誰かの手助けが必要になったときは、子供・孫・ヘルパーの援助をもらってでも、自宅で余生を過ごしたいものですね。でも最後まで自立心を失わないことが必要だと思います。
依存的になってしまった高齢者に出会うことがありますが、全面的に介護されるだけで、元気になるすべはないように思います。
皆さんの意見を募ります。
荒木 富士夫
井戸端会議
~職員が日頃の体験や最近はまっていることetcを自由に書き込むコーナー~
■女友達3人で、10年前に別府旅行をしたのですが、その時泊まったホテルの展望露天風呂をとても気に入り、10年後にまた来たいねと話してから10年、つい先日実現しました。事前の調べでは数年前にリニューアルしているようで、展望露天風呂が変わっているのではないかと一抹の不安を覚えつつホテルに到着しました。変わっていたのは玄関だけでした。以前よりもサービスが行き届いており、感激していたところ、仲居さんとの会話で今回の旅行の事を話すことに。それからしばらくして、仲居さんが部屋に来られ、その手にはシャンパンが・・私達の話に感動して下さったようで、ホテルからお祝いの差し入れがありました!
おいしい食事と景色のよい展望露天風呂、細やかなサービス、 前回以上に満足でした(^-^)。
また、同じ接客業で働く者としてもとても勉強になりました。
【モモ】
■先日新聞に心温まる記事が載っていました。1月末の雪の日、 雪で立ち往生した車を助けてくれた若者グループを探し、会って きちんとお礼を言いたいと60代と70代の男性が新聞で呼びかけていました。 昔に比べて他者と関わりをもちたがらない若者が多い中、若者がしてくれた善意に感動したようです。その記事を読み私も感動しました。その日から1週間後3人の男性が名乗り出たという記事が掲載されていました。助けた方も、お礼を言いたいと動いた方もどちらも素晴らしいなあと思いました。
【クロ】
■ある冬の日、待合室がいっぱいの日に開放している部屋があるのですが、患者さんも少なくなってきたので、そろそろその部屋を閉めようと部屋に入ったところ、驚きの光景を目にしました。そこには、人は誰もいませんでしたがキララ(当院の猫)1匹がソファーの上に丸くなって寝ているではありませんか!キララを抱こうとしますが、その場から離れたくないらしくソファーに爪を立てる始末。
なんとか外の小屋に戻しました。あまりに外が寒いので暖房のきいた院内に入りこみ強行突破を図ったのだろうなあと想像しました。
【ミー】